松田の書籍部屋










らくご@座の企画制作あれこれをしている
松田健次(マツダケンジ)です

こちらは松田がこれまでに出版した
書籍を紹介するページです





(白夜書房 2008年)

 





(白夜書房 2010年)







◎『F(エフ)』

(SALLY文庫 2012年)


※2024年5月末より
神田神保町 PASSAGE3号店 『SOLIDA』にて8月末まで販売あり





(amazon KINDLE 2021年)







(双葉社 2022年)












< おためし >



こちらは2012年に刊行した『F(エフ)』の試読用テキストです
冒頭21ページまでを掲載しています




『F(エフ)』 第一章』(試読版)













第一章  2011年3月18日 (金曜日)



01

大震災から一週間が経っていた。
夜、僕はNHKで定時のニュースを見ていた。震災関連の深刻な報道がつづくなかで、そのニュースは流れた。
それは福島県いわき市のとある高齢者施設が、震災の影響や放射能に関する風評被害によって交通や流通が途絶え、孤立状態におちいってしまい、燃料、水、食料が調達できず、それらの備蓄が限界を迎えようとしている、という内容だった。
不足している物資のなかでもとくに切実なのは、施設の暖房に使用する灯油だという。三月中旬の冷え込みはまだ厳しく、暖房なしではとうてい夜を越せそうになく、震災後、暖房の使用時間を区切って灯油の節約をつづけてきたものの、その灯油もまもなく底をつきそうだと施設代表の男性が電話ごしに窮状を訴えていた――「あと一日もつかどうかです」。


ニュースを見終え、震災からずっと感じつづけてきたことをまた感じた。
――僕には何もできない、自衛隊か消防かどこかの誰かになんとかしてもらうほかないんだろう――と。
東京にいて、次々に報じられる被災地の理不尽に触れるたびに無力を感じ、やるせなさを意識の底に押しやっていた。これは仕方のないことなんだ、今は自分だけでなく全国で無数の人々がそういう思いを抱いているんだ、そう自分に言い聞かせ現実に戻る。毎日その繰り返しだった。
しかしこのとき僕はそれまで何度も繰り返してきたはずの現実に戻るルートをいつのまにかはずれてしまった。
僕は現実に戻らず妄想のなかにいた。
妄想の内容は具体的だった。僕の目にはさきほどのニュースで報じられた高齢者施設がふたたび見えていた。ニュースで映し出されていたのは携帯電話によって撮影された画素の粗い映像だったが、妄想のなかでそれはふつうの鮮明な実景になっていた。
僕が見ているのは施設の入居者が集う広い共用スペース。そこで多くの老人たちがチェアーに腰かけ、思い思いの時間を過ごしていた。ただ施設内の暖房は切れていて、天井の高い共用スペースは冷んやりとしていて、そこにいる誰もが肩から毛布を羽織り、手に簡易カイロをにぎりしめ、寒さをしのいでいた。
共用スペースの前方中央の壁面には大型テレビが置いてある。画面はニュースが映し出されている。音声ボリュームはとても小さく前方でかすかに聴こえる程度だった。
そこに土色の顔をしたひとりの男がすうっとやってきてテレビの前に立つ。男は右手を掲げ、老人たちに向かってひとこと発した。
「はいどうも」
声の主に向けて老人たちの視線が集まる。それを受けて男が名乗る。
「江頭2時50分です」
人差し指を胸の前に突き出してつづける。
「みなさんに灯油を持ってきました」

これがそのとき僕が見た妄想だった。
妄想とはいえ、震災の影響で孤立困窮している施設にあの江頭がいた――。灯油をもってきました? 緊急ボランティア? まったく似あわない。ただの突飛な妄想。なぜここで江頭?
だが江頭という芸人が僕の頭のなかにあらわれることに関しては理由がないわけではない。江頭と僕は二十代半ばに知りあい、以後二十年近く、芸人と放送作家という立場でつかず離れずに関わりあってきた。要するに顔なじみだ。
とはいうものの、この非常時にもっともかけ離れたジャンルにいる人物が、救援ボランティアにあらわれるというアンマッチな妄想をなぜ僕は見たのだろうか。
気の重いニュースに接しすぎたことから来る、ある種の現実逃避だろうか。
この未曽有といわれる非常時に救援ボランティアがまっとうできる人物というのは、やはりそれにみあった最低限の適性が要るはずだ。江頭がそこに当てはまるとは思えない。
世間に知られるとおり、タレントとしてのキャラクタービジュアルは異端で、痩身の半裸に薄い胸毛、下半身は黒のスパッツ、基本的にキモチわるいと女性層にはすこぶる不評。
またその芸風は、かつて起こしたトルコ全裸逮捕事件であったり、バイアグラ一気飲み入院事件であったり、生放送中に橋田壽賀子にディープキスしたり、他いくつもの問題行動がプロフィールの裏面を塗りつぶし、芸能人とは思えないほどウィキペディアが黒々としている。
とはいえ、そんなマイナス要素も積もり積もればヒールジャンルでの存在価値になり、毎年「日経エンタテイメント!」誌が発表している「嫌いな芸人ランキング」で九年連続一位などの不名誉を継続している。
いうなれば存在自体が不謹慎、それが江頭2時50分だ。
ゆえにそういう人物がこの非常時に何かしら関わろうとすれば、第三者から無用の不快を招きかねない。
それは当然であり、なにも江頭に限ったことではない。江頭のようにマイナスイメージにまみれた存在でなくても、被災地では今、芸能的なことは求められていない。歌も芝居も笑いも。いずれそういう機会も訪れるかもしれないが、現在喫緊に求められているのは、命をつなぐための医療であり、生活を維持するための環境であり、ライフラインであり、食糧であり、物資だ。
江頭がボランティアとなり、あの高齢者施設に灯油を届けるという妄想、おそらくそれはやはりこの一週間、僕のなかに蓄積しつづけたやるせなさを一時的にまぎらわすための現実逃避なのだろう。

テレビを消して横になる。部屋の風景が目に映る。ひとり暮らしの狭い部屋は地震のときに崩れ落ちた本やビデオを一時的に除けただけで、雑多に積んだ物たちがいくつもの小山となって床を占拠したままだ。それらをどう片づければいいのか、うまく思いつかない。3・11以来、気分が散漫で集中力がない。きょうもただテレビとラジオとネットでニュースを追うだけの一日だった。
頭のなかには整理されない映像や言葉が不規則に浮遊している。目をつぶりそれらをひとつひとつ遠ざけながら、じっと眠りを待つ。
しかしそれは叶わなかった。
先ほど見た妄想が不意にぶりかえした。
内容は同じ。ニュースの中の高齢者施設、その共用スペースに集う老人たち、暖房は止まりみな毛布にくるまっている。そこへ江頭がやってくる。
「はいどうも、江頭2時50分です、みなさんに灯油を持ってきました――」。
そこまでだった妄想が、さらに進んだ。
唐突にあらわれた江頭を前に、老人たちはみなぽかんとしている。老人たちは江頭を知らない。その接点は無いに等しい。江頭はNHKに映らない。笑点の演芸コーナーに登場するようなネタもない。民放テレビでも年間を通じた出演回数は指折るほどだ。そんな芸人を七十代、八十代の老人たちが知りようもない。無反応な老人たちの視線にさらされ、江頭は二の句が継げず目が泳ぎはじめる。老人たちは思う。
「あんたはだれだ」
その瞬間すべての時間が止まる。計りようのない空白のあとでふたたび時間が動き出すと僕は爆発的に吹き出した。笑いが止まらなくなっていた。どうしようもないほどこわれた。ボランティアに駆けつけたあげくすべっているなんて。
震災後、こんなに笑ったのは初めてだった。それからどれだけ悶笑しただろうか。ひとりでひたすら笑いつづけた。やがて笑い疲れ、乱れた呼吸を整えながら思った。この妄想、もしかしてあり、なのか?
江頭がボランティアで高齢者施設に行く。しかし誰からも認識されずにすべる。未曽有の非常時に江頭がすべっている。芸人が顔を見せて名乗っているのに匿名と変わらない。ゆえに売名にもならない。そういう状況が現実となることは、ありなのだろうか。
僕はその空気に触れてみたいと思った。むしょうに何かをしたいという気持ちは久しぶりだった。

江頭が福島県いわき市の高齢者施設へ救援物資を持って行く、それを成立させるためには何が必要なのだろう。状況を整理してみる。

▼僕自身のボランティア経験/ない。

▼救援物資の調達/東京では生活用品の買い占めが起きている。水も食料も品薄。
ガソリンは供給が止まりスタンドに行列ができている。

▼交通手段/東北へ通じる高速道路は地震で寸断。東北へ向かう車両は不自由な一般道を長時間かけて移動している。

▼原発/福島は原発の冷却作業がリアルタイムで進行中。きのうは原子炉建屋の三号機に向けてヘリコプターで汲みあげた海水を空から投下。その大半がむなしく風に飛ばされていた。

▼放射能/情報次第

▼江頭/状態不明

にわかに隆起した気持ちがダウンする。たしかにこれらの要素をひとつずつクリアして慎重に組みあわせることができれば妄想は現実として成立するかもしれない。だがそれは理屈であり、冷静に考えれば今の僕はこれらの状況に関わる有効なファクターを何ひとつ持っていない。何も持たずに妄想しているだけ。現実味のない思いつきを。
そもそもどうして僕はこんな思いにとらわれているのか。この妄想はどこからやってきたのか。妄想の源泉は? 自問の川をさかのぼり向きあいたくない自分に向きあう。それを言葉にしてみる。

―― きついんだ、この部屋を出なきゃ。なんとかしてくれ江頭。

今流れている時間から僕を引きはがしてほしい、妄想に江頭があらわれたのは彼に対する依存らしい。
一見できそうにないことを江頭なら現実に引き寄せるかもしれない。
僕の身近でそういうことを思わせてくれる稀人は彼以外になかった。
とはいえ期待値だけではない。リスクもある。
彼を見かけたことのある多くの人が漠然と感じているだろうが、江頭という人物はあるきわまった局面に立つと、それをとても極端な方向へ運んでしまうところがある。
もちろん本人は本人なりに瞬時の選択や判断をしながら動いているのだろうが、その根拠は逐一不明でむしろ成り行き。その結果その局面に対してプラスをもたらすのかマイナスをもたらすのか、ふたを開けるまでわからない。
そこには中庸がない。
もたらす結果はいつも極端。
ミラクルもしくはトラブルだ。
そんな江頭という存在は僕にとって秘薬か毒薬か飲んでみなければわからない劇薬であり、その劇薬を僕は無意識のうちに欲していた。

いわき市の高齢者施設へ救援物資を持って行く。それを実現するための有効なファクターは何も持っていない。でも僕は唯一、江頭の電話番号を持っていた。



02

江頭に電話をかけた。いつも留守電の携帯がめずらしくすぐつながった。
「おう」と僕。
「おう」と江頭。
すこし近況を語りあう。江頭も部屋に閉じこもり朝から晩までずっとテレビを見つづけているという。
僕は伝えたいことを切り出した。さきほどNHKで流れたニュースの内容。そして、その施設へ救援物資(灯油)を運ぶ話。
「つまり、もしもいろんな条件がクリアできて、その高齢者施設に灯油を届けることができたとしても、そこにいるのは老人たちばかりだから、江頭がやって来たとかはやされることもなくて、つまり売名行為みたいにはならないんだ。それで福島に行ってみるってどう?」
「ほう」
 伝わったような伝わらないような、つかみどころのない反応だった。懸念はしていたが、やはり救援ボランティアという行動は、江頭にとって自身の範疇にはない行為であり無理があるのだろうか。江頭が口を開く。
「実は、被災地に行けるかどうかってことでいうと、おれも考えていたことがあって」
おや、江頭のやつ、すでにボランティア行為を考えていたというのか。やはりこの国難に居ても立ってもいられなくなっていたのか。いったい何を考えていたというのか。
「おれが運ぼうと思っていたのは灯油じゃなくてガソリンなんだけど、タンクローリーを調達して、おれが運転して東北へいく」
 タンクローリーのハンドルをにぎって北へ向かう道をひた走る江頭の姿が頭のなかで像を結ぶ。ありえない。言葉を失う。この非常時にそんなヒーローアクションみたいな夢想などありえるわけがない。
さらに訊けば、某大手石油会社の重役を知るという知人がいるので、その人脈をつたってタンクローリーを借りるのだという。ばかか。この究極の非常時にいったいどこの大立者が一介の芸人にタンクローリーを貸すというのか。そういう夢想は弘兼憲史や本宮ひろ志のマンガのなかでだけ実現する。ふつうに考えればわかるだろうに。
今や震災後のガソリン不足はピークに達しており、被災地では医療や生活に関わる車両の運転がままならず悲鳴があがっている。都心でもガソリンスタンドは軒並み休業、限られた営業店舗にはうんざりするような行列ができている。それでもガソリンを求める人々が寒夜を徹してスタンドに並ぶなど深刻な状態がつづいている。そんなナーバスな状況下で、ガソリン供給に関わる大手企業がその重要な業務を部外者に、ましてやお笑い芸人に、さらにましてや江頭2時50分という無謀者に託すわけないだろう。――心のなかに否定の言葉があふれてくる。
それにタンクローリーの運転は危険物運搬を扱う専門職だ。その資格すら持っていないだろう、その点のみ口に出し、やんわり指摘してみる。
「じゃあ、おれは運転しないで助手席に乗っていく」
 こりない男だな。これまでもつくづくオーバーリミットなやつだと思ってはきたが、日本がこれだけの非常時に陥っているというのに、よくもまあそんなありえない話を口にできるものだ。この男は今起きている現実を本当に見ているのか? いや待てよ、もしかして震災のショックで頭がリアルにおかしくなっているんじゃないか。そうでなければ、タンクローリーで東北に乗りこむだなんて絵空事をこうも大まじめに口にするだろうか。

いぶかりつつも、現在の江頭はタンクローリー調達の案を画策中であり、某大手石油会社の重役にラインがある知人と共に被災地へ行くことを構想中だと知る。まったく何を考えているのやらとあきれつつも、江頭が僕ではなく別の誰かと動こうとしていることを知り、少々さびしい気分になった。
二十年に及ぶ江頭とのつきあいのなかで国内、海外、これまでに何度も江頭と行動を共にした経験が僕にはあり、いざという場所へ赴くときに同行するのは僕の任だとも思っていたからだ。だが今回のように江頭が僕以外の誰かと動くケースも当然多々あり、その遠因が僕自身にあることも自覚していた。
そのいちばんの理由をあげるとすれば僕は江頭に対しひどく短気なのだ。
まさに今ずっとそうであったように(口には出さなかったが)、彼独特の思考スタンスに、ときに苛立ちが沸点を越え、噴きあふれる反問を抑えきれなくなることがあるのだ。
それが表出したときには、どうにもいやな空気になる。言葉を並べたてるのはほぼ一方的に僕であり、江頭はこちらの言葉が尽きるまでじっとしている。森の樹洞におさまったフクロウのように嵐が過ぎるのを待っている。
そういうと彼のほうが成熟した大人のように思われるが、それは限定された二人のあいだの事象であり、たしかに僕は江頭に対して短気となるが、他の人間関係はすこぶる常温で、誰かに対しむやみに苛立ちをぶつけるようなことはめったにない。それをここで証明する手立てはないが、そうだと思う。
そんな僕がなぜ江頭に対し自制を失うほど短気になるのか。繰り返すがそれは江頭がある局面に置かれたときの思考スタイルに拠る。それは主に以下の項目に集約される。

1 現実の限界を考慮しない
2 瑣末から壮大までシミュレーションが止まらない
3 方向が決まると他のことに目をくれない

これを総せば、夢想家で神経質で自己中心的。面倒くささの三すくみだ。
ゆえに江頭と行動を共にする時間のなかで、ある局面におちいると僕は彼に対し、
「もっと現実的に考えろ、そこは考えすぎるな、なぜここで考えないんだ」
という救いようのない不寛容ループにハマったりするのだ。とはいえ逆側の視点、江頭から僕を見たら、
「(なにをこいつはきゃんきゃんとイラついているんだ面倒くさい)」
となるのだろう。

いずれにしても今回は江頭が別の誰かと行動しようとしていることがわかった。江頭という劇薬を欲していた僕には残念だが、江頭が思考停止で硬直しているのではなく、どこかへ動こうという意識でいることを知りホッともした。
僕は僕でこの劇薬に頼らず、どうすれば今ある閉塞に針孔を刺すことができるか考えるほかない。
「じゃあ、またなにかあればってことで」
江頭との電話を終えた。

それから三十分もしないうちに江頭から電話がかかってきた。
あれから江頭は一緒に動こうとしていた知人に連絡をとり、できれば福島へ行こうと思うがどうかと訊いたという。するとその知人が自分だけの問題ではないからと妻に相談。妻は福島行きを言語道断と拒否。妻の意向は無視できないので支援活動はまた別の機会にできれば・・・・という話になったという。
福島に広がってしまった放射能に対し、誰がどれだけナーバスになったとしても誰もそれを責めることはできない。ましてや妻子ある身の人物が家族の気持ちをないがしろにしてまで救援に動くことは本末転倒だ。
そして江頭はその知人に僕による打診案(福島の高齢者施設に灯油運搬)を明かしたところ、
「ならばそれはぜひともふたりでがんばってほしい」
とエールを送られたという。
「で、どうする」と江頭。
 どうする? 話はシンプルだ。僕は劇薬を求めている。何がどこまでできるのかわからないがいっしょに動けるだけ動いてみよう、と応じた。
そうはいうものの僕にしたってつい一時間ほど前にあの妄想を見て、それを口にしてみただけのレベルだ。具体的な手段は何もない。どうすれば何をどうできるのか、ひとつずつ手さぐりしていくほかない。
これからどうするかはまた明日だ。現実に何が可能なのか、お互いにあたるだけあたってみようと話すにとどめ電話を切った。

こうして江頭と共に動くことになった。困窮に追いつめられた誰かのために? いや、発端は自分自身のためだった。
では江頭は何のために? 
タンクローリーで被災地に乗りつけようなどと夢想する呆け者だ。この状況でできるオーバーリミットにとにかく身を投じたい、といったところか。
いずれにしてもふたりとも清らかなボランティアスピリッツで動き出そうとしているのではなかった。不謹慎込み。それでも何かが成立するのか、それだけだ。
江頭との電話で眠気は消えていた。しばらくネットで必要そうな情報を収集した。

▼正しいボランティアの心がまえ
▼被災地で必要とされている物資の情報
▼NHKニュースで流れた高齢者施設へのアクセス
▼東北道、常磐道の交通規制
▼放射性物質とは

そして深夜三時に就寝した。







(第一章 了)





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